当社のルーツ・兵庫県朝来市の竹田城をご紹介するページです。








当社の屋号である「竹田屋」は兵庫県朝来市の竹田城をルーツに持つ屋号です。
300年の歴史を持つ由緒ある屋号です。 竹田城は中世に築かれた山城で、現・兵庫県朝来市にあります。
中世の伝統的な築城スタイルで、要塞としての機能を備え、山頂に築かれた歴史あるお城です。

★云海上有"竹田城"★
 
很久以前日本百姓没有姓,所以买卖东西的时候,为了方便,个人有一种昵称,我们公司的总经理也有一个昵称,就是竹田屋。这样的昵称叫"屋号"。 我们总经理的屋号有好长的历史,就是三百多年。其实这个屋号是从"竹田城"起名的。
"竹田城"是中世纪的一座山城。
它在兵库县朝来市。他有中世纪的传统建筑样式。
敌人来攻击时,为了尽快发现敌人来而且容易守护自己的城堡,中世纪的城堡是在山顶上建筑的。它也是这样。



★「天空の城」の異名を持つ竹田城★
お城の範囲は、南北約400メートル、東西約100メートルととても広く、 現存する山城として日本屈指の縄張りを誇ります。
虎が臥せているように見えることから、 別名・虎臥城とも。
城下から遥か高く見上げる古城山(虎臥山)の頂に位置する竹田城は、 しばしば円山川の川霧により霞むことから、「天空の城」の異名をもちます。

★有人叫竹田城"天空之城"★
竹田城的范围很广大。
城堡南北长400公尺,东西长100公尺。由于坐城在山顶上而且附近有时还会起雾的关系,因此别名为天空之城。
坐城的形状看起来好像是一只老虎趴卧的样子,因此有别名为虎卧城。



★「竹田屋」の系譜を記す資料★
山名宗全が竹田城を築城したのち、竹田城には歴代さまざまな城主が赴任してきました。
竹田城最後の城主・赤松広秀は、関ヶ原の戦いでは西軍につき、のちに、徳川家康に攻められ、鳥取で自刃してしまいます(慶長5年、西暦1600年)。
広秀の息子が京都北部に難を逃れ、現代の当社社長がその子孫にあたります。
また、当社の「竹田屋」という屋号も、江戸時代文化年間(1804年-1818年)より続く、たいへん歴史のある屋号です。

当社社長の家の系譜や先祖についての記載が載っている文書と掛け軸です。
一代目が竹田城城主であった赤松広秀で、五代目の頃(文化年間)には「竹田屋」の屋号が使われていました。

★关于"竹田屋"写的资料★
大名(中国人来说是中国古代的诸侯)・山名宗全是在室町时代修建以后,很多大名来成为竹田城的主人。
竹田城的最后主人・
赤松广秀参加"关原之战(1600年)"时,支持石田光成被打败了。然后,被德川家康攻击,自杀。
广秀的儿子逃避去京都,他是我们总经理的先祖。
因此从江戸时代文化年间(1804年-1818年)一个宗子开始用"竹田屋"
总经理的宗族史是在上边的资料写的。
那里写着第五个宗子开始用"竹田屋"。



★京都を彩る祇園祭

京都の7月は日本三大祭のひとつである祇園祭に人々は酔いしれます。
当社は毎年南観音山の前で売り出しをしております。
コンチキチンの音色が流れ、写真のような明るい提灯のともしびが、大勢の観光客で
賑わう古都の街を照らしだします。

当社にゆかりの深い南観音山は祇園祭りには華やかな提灯が。
雅に夜の京を照らします。
そして宵山の夜にはあばれ観音が不思議な情緒に。
南観音山の本尊である楊柳観音をぐるぐる巻きにして激しくゆさぶる行事です。

★喜庆气氛充满京都的"祗园祭"★
 京都有日本三大节庆之一"祗园祭"
每年的整个7月都会举办各种活动。人们都会陶醉这座城市的热情洋溢的气氛中。
高潮是宵山。宵山时停放在路边供游人欣赏的山车和鉾车。
我们的和服店每年卖在南观音山(一种山车)面前。

祗园祭时,和我们有关系的南观音山挂豪华的灯笼。它的风景很优雅。

南观音山里有杨柳观音。
宵山晚上时有一个活动,南观音山里有杨柳观音,就是把纽带一圈圈地缠到它上,摇动得激烈。





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